光陰矢のごとし。時間の経つのは早い。平成24年度もわずかになりました。今振り返ると、昨年度は井田重芳先生をお呼びした本校創立115周年記念講演・合同演奏会から始まりました。下記にそのことについて掲げます。
校長原稿④ 心に残る創立115周年記念講演・合同演奏会
大津 清
平成24年4月28日(土)に本校創立百十五周年記念式典並びに記念講演・合同演奏会を米沢市市民会館において開催した。記念式典の後に記念講演・合同演奏会を行った。忘れることのできない楽しく素晴らしい講演・演奏会であった。そのいきさつを述べてみたい。
吹奏楽部顧問の先生より井田重芳先生のことを聞いて、記念講演会の講師に依頼したいと思った。先生は本校土木科昭和45年卒で現在東海大学付属第四高等学校吹奏楽部(以下東海大四高と略す)の顧問として勤務され、2010年まで全国大会に連続29回出場し15回の金賞、12回の銀賞を受賞している。海外演奏旅行をはじめ国内でも数多くの演奏会を行い、CD・DVD等も発売している。全国有数の吹奏楽の指導者でカリスマ的な存在である。先生の多くを知るにつれて、講師を引き受けていただけるか不安を覚えた。
平成23年8月に行われた全国高等学校PTA連合大会(札幌市)の開催の折りに本校の小林成吉前教護会長とともに東海大四高を訪問し、先生とお会いした。井田先生は、本校在学当時を振り返り、恩師や仲間達との出会いや苦労話を語られた。吹奏楽で社会がもっと元気になり、人が優しくなれるようにしていきたいと考えておられる。素晴らしい先生であった。ぜひ、先生のお話を生徒達に聞かせたい。そこで、記念講演と本校吹奏楽部の指揮をしていただく記念演奏会をお願いしたのである。
その後、平成24年11月に、具体的な日程の確認のために、連絡を差し上げた。その時に、先生から、「私だけでなく、東海大四高吹奏楽部の生徒55人を一緒につれて、米工生と東海大四高との合同演奏をしよう。」という話があった。何しろ札幌市から55人も来るのである。とてもむずかしいのではないかと返事をした。ところが、井田先生から「創立115周年記念を思い出に残る演奏会にしましょう。母校の米工には大変お世話になったのだから。」と意外なそしてうれしい答えが返ってきた。そこで、本校の創立記念日は4月26日であるが、東海大四高の生徒たちの授業も考えて4月28日(土)に開催することになったのである。
その後、井田先生に二度本校にお出でいただいた。
一度目は、平成24年1月10日(火)に来校して頂き、本校吹奏楽部生徒の指導をしていただいた。来校前にこちらで紹介した宿泊先に立ち寄って決めてきたということであった。宿泊先は「演奏に影響するので実際に見て決めるようにしています」とのことだった。
二度目は、平成24年4月1日(日)に来校して指導をいただいた。生徒たちは超一流の高校との合同演奏会が間近になり、日ごとに緊張と不安を感じている。井田先生も心配で駆け付けてくれたのであろう。
当日は、鶴城工親会や保護者の皆さんもかけつけて、創立115周年記念式典並びに記念講演・合同演奏会が盛大に行われた。夕方には、一般の方向けに「本校創立115周年記念東海大学付属第四高等学校特別演奏会」と銘打って、本校の吹奏楽部と合同演奏会を行った。
後日、合同演奏会に来られた東海大四高吹奏楽部の保護者会・生徒一同様より心のこもった手紙をいただいた。そこには「待ち時間には貴校(米工)の生徒さんたちの貴校吹奏楽部の演奏に感動したと話されているのを耳にしました」と書いてあった。本校吹奏楽部の生徒もよく頑張ってくれた。この合同演奏会を通して、大きな感動と自信と言葉に言い尽くせないほどの財産をいただいた。
その後、本校吹奏楽部は全国吹奏楽コンクール山形県大会で銀賞を受賞し、秋には第3回定期演奏会を行った。生徒は、全国大会出場の夢を抱くようになり、練習にも一段と熱が入ってきているように思う。
人は感動体験の数だけ成長する。体験が人を育てる。この貴重な素晴らしい体験は、次のステージにきっとつながっていくことだろう。
お世話になった皆様に心より感謝申し上げます。今後ともご支援の程よろしくお願いします。
なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは 人の為さぬなりけり(上杉鷹山)
「鶴声第120号(全日制生徒会誌)、平成25年3月1日発行より」
平成25年3月17日付け米沢日報に本校の取り組みが掲載されました。
◇平成25年3月14日(木)午後3時より米沢市ものづくり地域産業化研究協議会の平成24年度成果発表会の内容です。
新聞記事のタイトルは「米沢工業高、演劇でプロジェクト紹介」「究極のエコ・スマートグリッドの魅力に迫る」でありました。発表内容はつぎのとおりです。
○全日制の取り組み
「米工版スマートグリッドへの挑戦」
主な内容は、エコハウスの建設、マイクロ水力発電装置の研究、バイオマス燃料の研究、EV (電気自動車)2号機の製作と特徴、バイオマス燃料の研究、有機EL健康野菜栽培研究プロジェクト
○専攻科の取り組み
「家庭De菜園プロジェクト」
○定時制の取り組み
「点字学習支援装置開発プロジェクト」
(米沢日報平成25年3月17日付け関連記事掲載)
(山形新聞平成25年3月19日付け関連記事掲載)
◇本校定時制の全生徒で製作した点字学習支援装置が全日本学生児童くふう展で入賞し、今月末まで県庁1階ロビーに展示される内容です。
新聞記事のタイトルは「点字学習を支援、文字入力で発声 タイプライター練習装置を開発 米工定時制」
(米沢日報平成25年3月17日付け関連記事掲載)
今後も先駆的な取り組みと産学官との連携を通して地域産業の活性化に努め、ものづくり産業を担う人材の育成を目指して取り組んでいきたい。
校長原稿③ スティーブ・ジョブズに学ぶ
校長 大津 清
2011年10月5日にスティーブ・ジョブズ(1955-2011)が亡くなった。享年56歳であった。今、私の目の前に、彼が作ったパソコンの名機「アップルⅡ」がある。教員1年目の昭和55年1月に賞与や貯金を費やして購入した。ジョブズについては皆さんも知っていると思う。彼は、iPhoneなどを世に送り出し、世界を変えた人である。彼は、21歳の時にアップル社を創業した。自宅の小さなガレージで始めたこの会社が世界を変えていくのである。それでは、どんな人なのか。
第一に、これまでの概念を次々に変え、世界を変えた人である。
「Mac」を1984年に発売した。パソコンは高度な専門家の使うものという概念から普通の人でも使えるように変え、視覚的な操作性を実現した斬新な未来のパソコンの姿を提示したのである。「iPod」は、音楽をCDで聞くものという概念から手もとで聞くものに変えた。さらに、「iPhone」は、タッチパネルや重力センサーを取り付け、直感的に操作できるものに変え、携帯電話の進化の道を切り拓いた。
「次にどんな夢を描けるか、それがいつも重要だ」(ジョブズの言葉)
第二に、常に夢やビジョンを持って、世界を驚かす新製品を生み出した人である。
「アップルⅠ」は、1976年に発売された世界初のパソコンである。「トイ・ストーリー」は1995年に大ヒットした世界初のCG映画である。タブレット型パソコン「iPad」(2010年発売)は、若者から高齢者まで使用できる世界初のデジタル製品である。
「あなたと僕は未来をつくるんです」(ジョブズの言葉)
第三に、何度も挫折を味わいながら夢を実現した人である。
1972年にオレゴン州リード大学に進学するが、半年後に退学している。また、アップル社で「Mac」を生み出し、大富豪になったかと思うと、自分で創業した会社を追放される。彼は、ネクスト社を創業しピクサーを買収するが赤字続きの経営的に失敗の経営であったが情熱を持ち続け、「トイ・ストーリー」を作り、アップルの暫定CEOに復活し、倒産寸前のアップル社を再建するのである。その時、再建を任されたジョブズの給料は「年俸1ドル」であった。ビジネスは単なる金儲けではなく、人生をかけるに値する素晴らしいものであることを示してくれた。
2004年膵臓(すいぞう)がんの摘出手術など大病をわずらい乗り越えている。
「最初は荒涼としたもので、あきらめようかと何度も思った」(ジョブズの言葉)
2005年には、米国スタンフォード大学卒業式で感動的な記念スピーチを行っている。下記にその一部を紹介する。
①未来に先回りして点と点をつなげて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ずつながっていくと信じなくてはならない。
②人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私がくじけずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。
③私は17の時、このような言葉をどこかで読みました。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。
ハングリーであれ。愚か者であれ。私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。
スタンフォード大学卒業式での記念スピーチより(市村佐登美訳抜粋)
スティーブ・ジョブズの生涯はその数々の成功と挫折を何度も繰り返しながら歩んだものであった。その生き方は、私たちに大きな夢と勇気と希望を与えくれる。
私たちに今何をなすべきか教えているように思う。その生き方を学んでいきたい。
彼はいつも夢と大きなビジョンを持ち挑戦していった。その夢を情熱を持って育て、実現させた偉大な人物である。 平成25年1月20日記
「Voice第64号(定時制生徒会誌)、平成25年3月3日発行より」
参考 スティーブ・ジョブズ、ウォルター・アイザックソン著井口耕二訳、講談社
スティーブ・ジョブズ名語録 人生に革命を起こす96の言葉、桑原晃弥著、PHP研究所
スティーブ・ジョブズ 夢と命のメッセージ、竹内一正著、知的生きかた文庫
スティーブ・ジョブズの哲学、竹内一正著、だいわ文庫
スティーブ・ジョブズは、もういない。誰が未来をつくるのか。
まさに、「あなたと僕は未来をつくるんです。」(ジョブズの言葉)
米工生よ 夢と勇気を持ってチャレンジしていって欲しい。
校長原稿② 東日本大震災に学ぶ
校長 大津 清
平成23年3月11日に東日本大震災が発生して甚大な被害を受けた。被災地及び被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
東日本大震災が発生した時は前任校の東根工業高校にいた。その時の様子を振り返ってみたい。
午後2時46分、東日本大震災が起こった。震度5強の揺れが3分間以上にわたり続いた。その揺れが非常に長く感じた。正面玄関に避難したが木々は根元から揺れて、「木が倒れるぞ、あぶない、離れろ」と叫んだ。地震がおさまった後に職員の安否確認、余震に注意しながら校舎内外の安全確認を行った。
地震直後に停電となり、電話もつながらない状況になった。安否の確認はメールで行った。地震前から降り始めた雪は、夕方には積雪となった。学校を17時過ぎに出て、風雪となった60kmの道のりを帰宅した。停電のため信号機の動作しない交差点では互いに譲り合って運転した。ようやく自宅に着いてほっとした。しかし、その日の停電は、復旧せず、懐中電灯をつけて寒い不安な一夜を過ごした。
千年に一度といわれる東日本大震災に遭遇し、私たちは、何を学ぶべきなのか。そして自分にできることは何であろうか。
まず、第一に人間と自然の関係を考えさせられた。
高度に進んだ科学技術に浴して恩恵を受けていると自然の力を忘れ、人間や科学の力を過信しがちになる。西欧人は自然を征服するものと考えるが、日本人は昔から自然とともに生きるという考え方がある。人間は自然と共存しながら生きていくことを思い起こした。
第二にエネルギーを大切にしていかなければならない。
停電になると電話が不通となり、暖房も止まり、公共交通機関なども使えなくなるのである。ガソリンも手に入らず、ガソリンスタンドには長蛇の列が作られていた。私も週末に朝3時からその列に並んだ。節電などエネルギーを大切にしていかなければならない。エネルギーの重要性を再認識した。本校では、化石燃料に依存しない「ゼロエミッションプロジェクト」を実施しているが、さらに、自然エネルギー利用の研究を行っていきたい。
第三に絆や思いやりを大切にしなければならない。
地震後2週間ほどガソリン不足から自宅に帰れず、周りの先生からは「家に泊まれ」と温かい声をかけていただいたがホテルや近くの旅館を点々とした。ホテルでは食事を準備できず、スナック菓子などを食事がわりにして過ごした。旅館では、お客のためにと懸命に食料を手に入れて朝食を出していた。そのご飯とみそ汁の何とおいしいことか。宿泊した旅館では、「息子の通勤路の途中に学校があるので車で学校へ送っていくがら」といわれ、送っていただいた。ありがたかった。被災された方々はどんなに苦労をしているだろう。私たちは手助けや支援をしていかなければならない。
本校生徒会は「LINKプロジェクト」と名付けて、東日本大震災避難者支援コンサート&イベント、石巻市復旧ボランティアなどの活動に取り組んできた。これからも実践していきたい。
第四に、被災者の方々に思いを寄せ、一生懸命に生きることである。
誰でもができることは何か。それは、被災者の方々に心を寄せて、今の自分の務めを果たすために全力を尽くして努力を積み重ね、一日一日を大切にして精一杯生きていくことである。
米工生よ、何を学ぶべきか、何ができるかよく考えて、実行して欲しい。今年一年良い年であるように祈らずにはいられない。
あらた とし はじ はつはる きょうふ ゆき し よごと
新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事
「新しい年の初めの今日の降る雪のように、良いことが重なるように」の意。「万葉集」の最後の歌である。さまざまな困難に遭遇していた大伴家持の祈りである。 平成24年1月6日記
「鶴声第119号(全日制生徒会誌)、平成24年3月1日発行より」