時尚奨学会奨学生決定通知書交付式
2012年7月11日 20時04分平成24年7月11日(水)午後4時より、本校大会議室において
財団法人時尚奨学会奨学生決定通知書交付式が行われました。
この奨学金は、布施義尚氏が寄贈したことから始まり、さらにその後多くの方々のご支援のもとに今日にいたったものです。布施氏は本校機械科を大正2年に卒業され、(株)セイコー精機の社長を歴任され、昭和51年にご逝去されました。
布施氏は入院中の病室で次のように話されました。
「私がセイコー精機の社長の座を占めえたのは、ひとえに明治の末期、山形県唯一の米沢工業学校に学ぶことが出来たからである。当時、山形市郊外の一寒村に過ぎない山寺に生まれ育った私は勉強したい一心から、はるばる米沢の地に十数歳の身を運び、経済的困難と闘いながら、どうやら大正2年3月卒業できた。生家も家計に余力がなく、学費の支払いもままならず困難を極めたものだった。見かねた学校では私のためにできる限りの便宜を図ってくれた。多くの人々の善意に支えられながら学業を終え就職することが出来た。私は、いつかはなんらかの形で母校や社会に報いなければならないと心に誓い精進つづけてきた。
もし、有能な青少年が経済的理由で学業に専念できないということがあれば、それは単に本人ひとりの不幸にとどまらず国家社会にとっても一大損失であり、私として到底忍びないものがある。だからいつか私の資産の一部をさいて母校の後輩の育英の資に当てたい。」
何と素晴らしい崇高な考え・生き方でしょうか。私たちも布施氏の生き方を見習っていかなければならないと思いました。