校長日誌

インターハイ、レスリング競技で第3位

2012年8月7日 16時59分

平成24年8月4日(土)~5日(日)に新潟市鳥屋野総合体育館で
第59回全国高校総合体育大会レスリング競技大会個人対抗戦が行われ、
60kg級に出場した佐藤優哉選手が第3位に入りました。
平成14年度全国高校総合体育大会の鶴巻宰選手76kg級第3位以来
10年ぶりの快挙です。
よく頑張ってくれました。おめでとう。
ご声援いただきました皆様、ありがとうございました。

夢と創造へのアイディアコンテストで発表

2012年8月6日 10時01分

平成24年8月4日(土)午後1時30分から山形テルサにおいて
第10回青少年夢と創造へのアイディアコンテスト(主催山形県青少年育成県民会議)の公開プレゼンテーションがありました。
11グループの発表があり、本校からも下記の二つのプレゼンテーションを行いました。
●米沢工業高等学校専攻科:「でがげっぺ」-専攻科開発の車椅子照明(有機EL)を利用した夜の街歩き-
●米沢工業高等学校:「いつでも どこでも だれでも 家庭De菜園プロジェクト」(専攻科・定時制協同研究)

結果は、夢を実現する優れたアイディアの3団体に、選択されませんでした。生徒は、涙を流して悔しがり、気落ちしていましたが、くじけることなくこれからもチャレンジしていってください。次の言葉を贈ります。
「あなたは、年齢は若いが、才能に富んでおられるので、何事であろうとも、志さえあれば、ならないということはあるはずがありません。もしも、これくらいの事で何事かをなそうとする気持ちがくじけるのであれば、大きな仕事を始めることなど、とてもできないでしょう。(中略)万一お気持ちがくじけるようなことがあったとしても古の英雄をご覧なさい。苦しいこと、困難なことがあるほど大きな仕事を成し遂げるには好都合だと思われます。」
(吉田松陰、郡司覚之進あて書翰、川口雅昭著「吉田松陰一日一言」致知出版社)

読書は素晴らしい-吉田松陰のこと-

2012年8月3日 09時19分

平成24年8月2日(木)にBNO会員交流会があり、山形大学有機エレクトロニクスイノベーションセンターの大平先生にお会いしました。先生は山口県出身ということでした。そして、吉田松陰のことに話が及びました。
次に吉田松陰のことを書いてみたいと思います。
幕末に生きた吉田松陰(1830-1859)の16歳時の言葉に次のようなものがあります。
・「書物を時々開き、そして、読めば、自ら書中に無上の楽しみがあることがうれしい。」(早春、分ちて韻微を得)
 彼は、松下村塾を開いて、明治維新の原動力になった高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、前原一誠など数々の人材を教え育てた人物です。
 ペリーが2度目の来航の際に密航の計画をしたが失敗して、それ以後、29歳で亡くなるまで牢獄や幽囚の生活を過ごしました。しかし、自暴自棄になることなく、野山獄にいた時も、絶望と化している囚人たちを改心させました。書や俳句のうまい人がいればその人を師として囚人たちと看守も巻き込み、牢獄を勉強の場に変えたのでした。そして、吉田松陰自身も講師となって孟子を講じました。その内容をまとめた本が「講孟余話」です。
 獄中にあっては、門人の桂小五郎に「僕は罪によって捕らわれの身になって以来、図書の中に埋もれているのがこの上なく楽しい。これにまさるものはない。」と書簡を送り、多くの本を読んでいます。「野山獄読書記」によると、
1854年106冊、1855年493冊、1856年505冊、1857年356冊総計1460冊を読んだという記録が残っています。なお、自分のことを「僕」という言葉を初めて使ったのは吉田松陰です。
 また、彼は「書を読む者はその精力の半ばを筆記(書き抜き)に費すべし」と言って、本を読んで心に残った部分を記録することを奨励しています。
そこで、私もまねて「心に残る言葉」を抜き書きしています。
 他に、彼は、こんなことを言っています。
・「好んで書を読み、昔の忠臣・孝子・義人・烈婦のことを最も喜ぶ。朝起きて夜寝るまで、こつこつと一心不乱に読み、そして書き抜きし、あるいは感じて泣き、あるいは喜びて小おどりしたり、やめることができない。この楽しみは、他に比較すべきものがあるとは思えない。」(講孟余話)
・「良い書物を読み、そこに出てくる昔の立派な人を心の友とすることは、学徳ある立派な人のすることである。」(士規七則)
・「読書というものは、最もよく人の心を変えるものである。書というものは、何と恐るべきものだなあ。」(野村和作あて書簡)
 昔も今も、本は人の生き方を教え、人を支え励まし、人に潤いを与えるものだと痛感します。誠に読書は素晴らしい。

全日本吹奏楽コンクール山形県大会銀賞

2012年8月2日 11時03分

平成24年7月27日(金)8:30より山形県県民会館で
全日本吹奏楽コンクール第51回山形県大会が行われ、銀賞を受賞しました。
顧問の先生より以下の大会報告を受けました。

「高等学校小編成の第9番目で演奏しました。発表曲は福島弘和作曲『繭の夢~竜の舞う空』でした。
念願の東北大会を果たすべく練習を積み重ねてきましたが予想以上に緊張して舞い上がってしまい、想定外のミスを犯すなど、実力を十分に発揮できないまま演奏が終わりました。
結果は銀賞で、上位2団体に認められる東北大会出場枠にも漏れ、部員は大変気落ちしてしまいました。
しかし、大会後、諸先生方に激励やおほめの言葉をたくさんいただきました。
東北大会への厚い壁とそれを乗り越えるのに必要なことなど、多くのことを学んだ大会でした。
今後11月3日に開催予定の第3回定期演奏会に向け、お世話になった先生方や地域の方、保護者の方々への恩返しも込めて演奏していくとの誓いを立てていたので部員共々、引き続き頑張っていきたい。よろしくお願いします。」

本校の吹奏楽部は昭和25年に県内初めて誕生し、今年で62周年を迎えています。
昭和55年12月に本校初めての定期演奏会を開催し、昨年11月3日に、実に31年の時を越えて、当時の吹奏楽部OBも駆けつけて第2回定期演奏会を開催しました。
さらに、今年の4月28日(土)には、東海大学付属第四高等学校吹奏楽部50名を迎えて、創立115周年記念合同演奏会も行いました。
そして、東北大会出場を夢見て、この大会に向けて頑張ってきたわけです。
今、このプログを校長室で書いているが、窓の外から練習の音楽が聞こえている。
吹奏楽部の生徒よ。
君たちの果敢な挑戦は立派であった。涙を流して悔しがり、気落ちしたと聞いた。
しかし、くじけることなく前進せよ。
「人は苦悩を突き抜けて歓喜を勝ち得るのだと」(ベートーベン)言っているではないか。
大会で学んだことを今後に生かして大きく羽ばたけ!
夢は「いつの日か東海大四高吹奏楽部と普門館の同じステージで演奏すること」。

エアステーション開設が新聞に掲載される

2012年8月1日 15時13分

エアステーション開設(7月24日)の記事が新聞に掲載されました。
エアステーションとは、自然エネルギーで発電した電気を利用して、自転車や自動車のタイヤの空気を入れることができるものです。一昨年度に製作した手作り電気自動車のエコ車庫に設置したものです。
●平成24年7月28日(土)付け山形新聞の見出し
「楽でエコな空気入れ 米沢工高生 自然エネ利用し開設」
●平成24年7月29日(日)付け米沢日報の見出し
「自然エネルギーで空気満タン 米工にエアステーション設置」
学校外の方々も本校の事務室に声をかけていただければ利用できます。
どうぞ気軽にご利用ください。