【回顧録20】商業科設置
2024年8月20日 12時00分昭和60(1985)年、定時制課程に商業科が新設されました。米沢商業高校定時制の募集停止措置に伴う、実質的な統合でした。来年度、本校と米沢商業高校が統合し、米沢鶴城高校となりますが、定時制は既に40年前にこのような米沢商業高校との縁があったようです。
昭和60(1985)年、定時制課程に商業科が新設されました。米沢商業高校定時制の募集停止措置に伴う、実質的な統合でした。来年度、本校と米沢商業高校が統合し、米沢鶴城高校となりますが、定時制は既に40年前にこのような米沢商業高校との縁があったようです。
昭和56(1981)年、野球部が全国高等学校定時制通信制軟式大会に出場しました。その後、幾度と全国大会に出場しました。現在、軟式野球部はなくなりましたが、資料コーナーには当時の全国大会出場を記念する写真がメンバーの名前とともに飾られています。
昭和54(1979)年、定時制創設以来設置してきた繊維工学科(染織科)が廃科となりました。米沢織の人材育成という使命を担ってきた存在ですが、時代の変化に伴い入学者が減少していました。かつては米沢市内のあちこちで機織機の音がしていた頃が懐かしいですね。
昭和44(1969)年、給食で米飯給食が始まり、山形県産のおいしいご飯を給食でも頂くことができるようになりました。私たちは毎日山形のお米を食べているので、そのおいしさが当たり前になっていますが、県外で食事をすると山形のお米が本当に美味しいということに感動します。
昭和46(1971)年、この年の部活動数が文化部6、運動部14の合計20部に上りました。この時代を象徴するものとしてアマチュア無線部がありました。1970年代の9年間だけ存在していたようでした。携帯電話が誕生し、アマチュア無線も位置づけも大きく変わりました。