【回顧録3】生徒会誕生
2024年8月3日 12時00分昭和25(1950)年、学校名が現在の「山形県立米沢工業高等学校」となりました。この年の7月に定時制に教護会が発足するとともに、生徒自治会が誕生し、機関紙「聲」が創刊しました。現在の生徒会誌は平成6(1994)年に「VOICE」と英語表記に変わりましたが、意味するところのルーツは変わっていません。
昭和25(1950)年、学校名が現在の「山形県立米沢工業高等学校」となりました。この年の7月に定時制に教護会が発足するとともに、生徒自治会が誕生し、機関紙「聲」が創刊しました。現在の生徒会誌は平成6(1994)年に「VOICE」と英語表記に変わりましたが、意味するところのルーツは変わっていません。
昭和24(1949)年、戦後の混乱期で物資が不足のなかでたくましく学校生活を送っていたようです。記録には「ほとんどの生徒が裸足で思い思いの運動をしたり、小遣いを出し合って用具を調達しながら、野球・バスケット・ボクシングなどをした楽しんだ。」とあります。
夏休みの時期を利用して、本校の記録より定時制の出来事を振り返ってみたいと思います。(21回連載予定)
昭和23(1948)年、米工定時制はこの年の7月に設置され、染織・建築・機械の3つの学科がありました。9月に入学式をおこない、78名が入学しました。当時は校名は「山形県立米沢第二高等学校」でした。
令和6年7月26日、全国大会に出場する陸上競技部を全校生徒で激励するため、壮行式を開催しました。今回、8名の生徒が出場します。全国に米工定時制の名を広めていただきたいと思います。あわせて、県大会の賞状伝達も実施しました。
令和6年7月26日、夏休みに入る前に山形県警より講師をお招きして、防犯や薬物乱用に関する講話を実施しました。近年、高校生をターゲットにした闇バイトや薬物乱用の事例が多くなっているとのことです。